今日は 若手社員の私が、成長している企業のC.I.を紹介します。「フルーツ」と言えば誰もが思い出す、あの老舗企業です。
第35回は、1834年から現在まで続き、高級フルーツブランドの代名詞と言われる「株式会社 千疋屋総本店」です。
千疋屋は「果物」を中心とする商品を販売する店舗の他、フルーツパーラー、レストランなども手がけながら成長してきた企業で、2021年には なんと創業「140年」を迎えた凄い企業です。特に、「千疋屋のマスクメロン」が有名です。
本社を東京「日本橋」に構え、従業員「202名」、売上高「39億円」(2020年度)で、特に近年の成長は目覚ましく、6代目社長「大島 博氏」が手掛ける改革により、売上は ここ20年で5倍に拡大しました。そんな「千疋屋」の凄さは、なんと言っても その「歴史」です。先ずは このことについて、紹介します。
【企業ヒストリー】
「千疋屋」の創業は1834年にまで遡ります。創業者の「大島 弁蔵氏」が千疋村(現・埼玉県越谷市)で槍術の道場を営んでいたとき、「天保の大飢饉」で道場経営が行き詰まり、道場の庭や周辺で採れた農産物を川船で運搬する「行商」に転向しました。江戸葺屋町(現・日本橋人形町)で、柿やぶどう、みかんを販売していました。当時の愛称で「千疋屋」と呼ばれていたことから、今に続く屋号が誕生しました。
2代目「文蔵氏」は、浅草や日本橋の一流料亭に青果を納めていました。この時、浅草の鰹節屋の娘だった妻の人脈で「西郷 隆盛」や「坂本 竜馬」など幕末の獅子(著名人)が顧客となり、販路を拡大することになりました。この時から高級果実店としての地位を確立していったのです。
1868年、3代目「代次郎氏」の代になると日本橋室町に本店を移転し、当時では珍しい「外国産フルーツ」の販売を開始し、果物食堂を開設しました。明治初期は、まだ輸入フルーツが出回っていない時代で、「代次郎氏」が横浜港に出掛けると、外国籍船の船員たちが『バナナ』や『パイナップル』、『オレンジ』を食べていたのです。「代次郎氏」は、すぐに船員たちに果物を物々交換してくれないかと提案し、再び 横浜に寄港するときに大量に持ち込んでくれれば高値で買い取ることを約束し、商談を成立させました。売価は高くても、外国産フルーツは人気を集めました。
その後は、先代の人脈も生かして交渉し、商社経由で外国産フルーツの仕入れが出来るようになりました。明治前半から中期にかけては、「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」などの暖簾分けを行い「千疋屋」の知名度を高めていきました。
1914年、4代目「代次郎氏」の代になると、世田谷に3,000坪の農場を開設し、果物の品種改良やメロンの研究を手がけるも、1923年「関東大震災」で街中が焼け野原となりました。千疋屋全店で唯一残存していたのは「丸ビル支店」のみでしたが、急いで建築資材をかき集め営業を再開し、震災から6年経った1929年に、現・千疋屋総本店がある「日本橋室町」に本店ビルを建設したのです。その後も太平洋戦争に突入し、何度も倒産の危機に陥りますが、何とか継続させ続けました。
そんな中、現社長の父である5代目「金次郎氏」の代になると、ハワイ産の『パイナップル』など海外フルーツの輸入や支店の拡充に注力し、国内大手のフルーツ専門店に成長しました。バブル景気も追い風となり、法人向けの贈答品需要が拡大するも、バブル崩壊と伴に またしても倒産の危機に。この厳しい局面で社長に就任したのが、現社長で6代目「大島 博氏」です。
「大島 博氏」は大学を卒業後、経営学を学ぶために渡米しました。当時 「千疋屋」の輸入事業は輸入代行業者に委託していたものの、今後は自社でやりたいという父の意向もあり、ニューヨーク大学で経営学を学んでいました。その後もロンドン大学に半年間通い「老舗経営学」を専攻し、授業のなかで「ブランディング」を徹底的に学びます。
帰国後は輸入代行業を手掛ける会社を経て、1985年に「千疋屋総本店」へ入社し、1998年に社長に就任します。社長就任後「3年間」は父の経営手法を踏襲していましたが、「千疋屋ブランド」と消費者ニーズに"ズレ"を感じるようになっていきます。それは 同時に、父の経営方針と今の時代感覚の"ズレ"を意味します。案の定、消費者アンケートを行うと、「敷居が高い」「店舗や包装のビジュアルがレトロ」「手が届かない」といった声ばかりでした。かつて 消費者は高級志向で、1万円の値札がついていても飛ぶように売れていましたが、時代の変化とともに、いつしかニーズと かけ離れていたのです。業績も下降の一途を辿っていました。
「このままではダメだ!」と確信した「大島 博氏」は、従来の経営方針との決別を決意します。「千疋屋ブランド」のイメージを再構築すべく「リブランド・プロジェクト」を立ち上げ、ここから、新たなスタートを切りました。それが 功を奏し、なんと ここ20年で「5倍」の売上まで拡大しています。
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それでは、そんな 多くの危機を乗り越えて、日本を代表する老舗企業まで成長した「千疋屋」の"イケてるC.I."を紹介します。
【存在意義】
「日本の果物を最高のかたちで届けることで 人と人の心の架け橋になる」
【コンセプト】
「ひとつ上の豊かさ」
【経営理念】
「お客様本位」
お客様あっての商いであることを常に考え、顧客への奉仕を第一と思っております。
「信用重視」
創業以来140余年の間、お客様よりの信用を大切に考え、誠実に努力しております。
「和親協力」
常に「和の心」を信条とし、お互いの信頼を広げ、企業の繁栄と社員の福祉に尽くします。
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【若手なりの成長理由分析】
それでは、若手なりに「株式会社 千疋屋総本店」の成長理由を分析させて頂きます。
「株式会社 千疋屋総本店」の一番の成長理由は…
●「同族経営に関わらず、現社長が経営の全てを一新された点!」です。
*「大島 博氏」が社長に就任した時は、丁度 PC「Windows98」が発売され、インターネットを使い始める人がようやく出始めた頃でした。この時、「千疋屋」のブランドについて、「大島 博氏」自身が違和感を覚えていました。先述した通り、「大島 博氏」は『千疋屋』への入社前に海外留学をしたり、輸入代行の仕事を経験したりしながら、外からの目で「千疋屋」を見たときに「時代と"ズレ"ているのでは?」「自分の感覚と違う」 と感じていました。というのも 当時の「千疋屋」は、まだまだ バブルの頃の『体制』や『考え方』を引きずっていて、多くの方から「あまりにも敷居が高い」というイメージがあったからです。要は お客さまから「届かない、身近ではない存在」になっていたのです。
そこで、2002年に「リブランド・プロジェクト」を立ち上げました。そのプロジェクトの中で、現在にも通じる「ひとつ上の豊かさ」というブランドコンセプトを設定しました。それは、「千疋屋は手を伸ばせば届く距離にある。そして『千疋屋』を通じて お客さまに豊かな気持ちになって頂きたい」という想いです。
海外留学で学んだ「ブランディング」の重要性を掲げ、先ずは『ロゴ』や『包装紙』、『容器』を時代に合ったものに一新しました。それまでは「高級フルーツ」を主力としていたため、「高級志向」の顧客に偏っており、「中間層」や「若年層」が少ないことが課題であり、「裕福層」に特化するのではなく「中間所得層」にも手が届く価格帯の商品ラインナップを拡充しました。この時にフルーツを軸に、ケーキやスイーツ、ジャム、ゼリーなどの「加工品」に注力し始めます。手頃な価格で販売することで、「千疋屋」の商品に馴染みがなかった客層へのアプローチを図ったのです。
*更に「東京土産」としての需要をにらみ、東京駅や羽田空港に出店し、生ケーキや加工品の販売やインターネット販売を開始しました。時代の変化と共に、日本人の味覚は「程よい酸味、みずみずしさ、舌触り、コクにこだわる」ようになっていきました。そこで 消費者のニーズに合うように、仕入れの選別基準に変化を加え、フルーツを使った加工品やケーキの品揃えにこだわり、何度も試行錯誤を繰り返しながら、新たな「千疋屋」の味を確立していったのです。
それでは、若手なりに仮説ですが、更に"3つ"上げさせて頂きます。
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◆1.「社員の意識統一のための徹底した社内研修を行っている点!」
*「千疋屋」は、今でも「10年に一度」、ブランドの見直しを行い、時代の潮流に適しているのかを確認しています。しかし その中でも変えてはいけないものもあります。それを「社内研修」で、徹底的に浸透させています。講師は現社長も行い、例えば 「千疋屋は、何故 高級フルーツを提供しているのか?」 そのために「先人や、我々がどんな努力を積み重ねているのか?」 それが「何故 一つ上の豊かさにつながるのか?」と言ったことです。先ずは、社員一人ひとりが理解しないと、販売なんて出来ないのです。
*他にも、「江戸時代の歴史や文化」から学び直しを行っています。高級フルーツになると、お客さまに『質問』されることも多々あるのです。そもそも「千疋屋」の社史を紐解くと、江戸時代から続く日本人と果物の関わりにまで話が及びます。デザートとして果物 そのものを食べていたのは、実は 世界でも日本だけだそうで、だからこそ 日本人は『品種改良』を重ね「本当に美味しい果物」を追求してきたのです。
そういった背景があることを知り、お客さまに伝えられることは、「本当に美味しい果物」を理解する上で とても重要な要素だと、社員 みんなが認識しています。
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◆2.「リアル店舗とネットを駆使した、ハイブリッド戦略!」
*「千疋屋」では、消費者が「インスタグラム」などに投稿している自社商品の写真を集め、投稿者に許可を得た上で「公式サイト」に掲載しています。公式サイトに訪れた閲覧者は、自然と「美味しそう!」と感じた写真をクリックすると、システムを通じて商品購入のページに飛ぶような設計にされています。実は、発信力を高めるには、影響力のあるインフルエンサーを活用する方法もありますが、実は 作り込まれた写真よりも、消費者が撮影した写真の方が"共感"を得やすいのです。
投稿者に許可を得て掲載する作業はかなり手間がかかります。しかし ここが"肝"で、投稿者が公式サイトでの掲載を喜び、自身のSNSで再度そのことを投稿するケースが多いのです。すると、公式サイトは自然と拡散していきます。こうしたやり取りを通じて、SNSを日常的に利用する若い顧客をECに誘導していっているのです。
また「千疋屋」は、お土産としての購入頻度も多く、 若者を取り込み 実家への「お土産」に『千疋屋』の商品を購入して貰うことで、母親父親世代にも知って貰うことが出来るのです。
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◆3.「商品力が命!『仕入れ』を絶対 妥協しない点!」
*「千疋屋」では 現在、仕入れを行うのは 東京「大田市場」のみです。それ以前は「神田市場」、更に遡ると「日本橋市場」でも、仕入れを行っていたそうです。しかし その時代時代で、日本で一番 美味しい果物が集まる場所は変わっていくのです。 これを逆の見方をすると、「一番 良い値段が付くので、生産者が一番 出したい場所」とも言えるのです。
元々は「契約農家」から直接仕入れを行っていたこともあったそうですが、気候変動や自然災害などがあり、毎年 同じ品質のものを、安定して確保するには リスクが高く、何度も失敗しました。「本当に美味しい果物」をご提供することを鑑みると「その年、その季節に、一番 美味しい果物が集まる場所」で、「その中でも一番 美味しい果物」を見定め、お届けすることが一番良いのです。このシンプルさが、「千疋屋」の商品力に繋がっています。
*そもそも「千疋屋」では、仕入れ担当者になるには、「10年以上」の経験が必要になります。何故なら「店頭に並べる、並べない」かを判断するのも、仕入れ担当者だからです。「千疋屋」ではその品質について「千疋屋スタンダード」というランクを設定していて、それを満たさないものは お客さまに提供しません。果物商品には「お気に召さないものがあれば、お取り替えします」という保証書まで入れています。
実は、私も商品の仕入れを行っていた時期がありますが、こんなことを知ると、恥ずかしくなってしまいます。。。
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◎と言うことで…
「千疋屋さん」は、過去の歴史だけではなく、その歴史を しっかり社員の皆さんへ伝承し、ブランディングにまで繋げられていることが凄いです。これこそ「存在意義」だと思います。一方では、時代の潮流に合わせて、SNSなどを駆使されていることも驚きです。以前 とある経営者が言われれた言葉に「理と利」というモノがあり、とても印象に残っています。所謂「理念」と「利益」の両輪を追求して初めて、経営が上手くいくと言う意味です。まさに、「千疋屋さん」は、この「理と利」の経営をされている気がしました。
また「千疋屋」と言えば、「メロン」のはずです。しかし「千疋屋さん」が凄いのが、メロンで それほど強力なブランド力を築き上げているのに、メロンなど高級果物への依存を止めたことだと思います。現在、商品比率では加工品が8割を占めているそうです。伝統のブランド力を活かしつつも、変革に成功した そのバランス力が凄いと思いました。これこそ「伝統と変革」だと思います。本当に勉強になりました!
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●それでは 最後に、C.I.について、若手なりに一言いわせて頂くと…
「日本の果物を最高のかたちで届けることで 人と人の心の架け橋になる」とあり、理念通りの事業をされていると思いました!今では、果物を使った和菓子なども創られていて、まさに 今も「最高のかたち」を追求されているのだと思います。ただ 敢えて若手なりに一言いわせて頂くと、「人と人の心の架け橋になる」という言葉の先の「世界観」が表現されると、より良いなと思いました。ただ それ以上に、C.I.を掲げるだけでなく、しっかり 社内研修などを行い、意識統一をされていることが凄いです。社員さんのインタビューも見ましたが、会社への"誇り"を強く感じ素敵な企業だと思いました。理念浸透の為に、研修以外に どういったことをされているのかが、とても気になりました!
ここで、私になりに「企業理念」を考えさせて頂きます。
「最高のフルーツを最高のかたちでお客さまに届け、四季のある日本の素晴らしさを伝えることに貢献する」
社長のインタビューで、フルーツを通して日本の「美しさ」を伝えたいと話されていて、こう表現にしました!
また 出来れば、コンカンが提唱するC.I.と、御社のC.I.を一度 照らし合わせて頂けると有り難いです。
*concanが考えるC.I.とは?
本当に、若手が生意気言って、申し訳ございません。
長くなりましたが、以上です。
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